1級 · 読解 · 第5回
争われる集合的記憶の構造
この回の内容
1級 · 読解 · 第5回
「記憶は継承ではなく構築 → 誰が語る権威を持つか → 国家の発明 → 対抗記憶 → 相対主義ではない」の運びです。
記憶=権力という主張の組み立て
何を記念し何を忘れるかは never a neutral act of preservation but a calculated assertion of power(中立な保存ではなく計算された権力の主張)。
アルヴァックスの「記憶は社会的に足場を組まれる」から、記憶の制度(文書館・博物館・教育課程)を握る者が合意を製造できる、という帰結を導きます。
19世紀の「伝統の発明」がその例です。
相対主義への予防線
To recognize memory as political is not to surrender to relativism … The historian's obligation to evidence remains inviolable.(記憶を政治的と認めることは相対主義への降伏ではない。歴史家の証拠への義務は不可侵だ)と先回りで反論を封じます。
像が倒される場面は vandalism against history ではなく contest over its custodianship(管理権をめぐる争い)と読み替えられます。
結論は Memory … is less a vault than a battlefield(記憶は金庫というより戦場)。
つまずきやすい所
○ 証拠への義務は不可侵だと明言している
✗ 筆者は歴史に客観的事実はないと主張している
not to surrender to relativism。
○ 管理権をめぐる争いと読み替える
✗ 像の撤去は歴史の破壊である
not vandalism … but a contest。
○ 19世紀に発明されたものが多い
✗ 国民的伝統は古来のものだ
passed off as immemorial custom。
権力としての記憶という主張と、相対主義を否定する予防線。記憶は継承ではなく構築という主張と、相対主義への予防線 ━ 片方だけ取ると誤答します。