1級 · 読解 · 第17回
存在しなかった自己 ― 哲学が問う「私」とは
この回の内容
1級 · 読解 · 第17回
「同一性の確信 → 身体は根拠にならない → 記憶説も循環 → 心理的連続性も思考実験で崩れる → 自己は物語かもしれない」の運びです。
候補が順に潰れていく構成
- 身体(細胞は入れ替わる)
- 記憶(ロック)— 循環論法(記憶を「私の」と呼ぶ時点で自己を前提している)
- 心理的連続性 — 転送の思考実験で崩れる(複製は原本と感じられない)。
この「潰し」の順序が論の骨格です。
失敗ではなく問いの立て直し
Perhaps, then, the lesson is not that we have failed to find the criterion but that we have misframed the search.(基準を見つけ損ねたのではなく、探し方を誤って枠づけていた)。
仏教の anatta(無我)が同種の結論に達していたと付け加え、結びは to ask not what the self is, but how, and why, we keep insisting that there is one(自己とは何かではなく、なぜ在ると言い張り続けるのか)です。
つまずきやすい所
○ 循環論法として退けている
✗ 筆者は記憶説を支持している
begs the question。
○ 実体というより物語かもしれない(may)
✗ 自己は存在しないと断定している
断定を避ける法助動詞。
○ 最も正直な結果であり、問いの立て直しへの招待
✗ すべての基準が失敗したのは哲学の敗北だ
Far from a defeat。
潰しの順序と、断定を避ける結び。「存在しない」と読み切らないことが要点です。