1級 · 読解 · 第48回
語り続けずにいられない物語としての自己
この回の内容
1級 · 読解 · 第48回
「自己は物語という説 → 説明力の高さ → だが物語は歪める → 有用な錯覚は錯覚 → いや、語ることが自己を構成する」の運びです。
論点が二段で深まる
- 物語説(自己は所有する実体ではなく、絶えず編む物語)
- 批判(語り手は不実な編集者で、偶然を運命に均し、主題のなかった出来事を主題に徴用する)
- 反転(そもそも物語が一致したり裏切ったりする「より深い事実」など存在しないなら、連続する自己であるとは生きられる物語を保つことに他ならない)。
この第三段が本文の要です。
「有用な錯覚は錯覚」への切り返し
批判側の決め手は a useful illusion remains an illusion(有用な錯覚も錯覚のまま)。
これに対し擁護側は 論点をひっくり返します ━ 物語が照合すべき「人格同一性のより深い事実」が存在しないなら、the telling does not report the self—it constitutes it(語りは自己を報告するのではなく、自己を構成する)。
結びの The story … is not a window onto the protagonist. It is the only protagonist there is. が主旨です。
つまずきやすい所
○ 批判を経て、より過激な反転版に到達する
✗ 筆者は物語説を素朴に支持している
Yet seduction is no proof。
○ 有用な錯覚も錯覚(批判側の指摘)
✗ 物語が心地よいなら真実だ
cannot vouch for its truth。
○ その先行する事実が存在しない可能性を示す
✗ 自己という深い事実が物語の正しさを測る
nothing antecedent to the act of telling。
三段の深まりを追うこと。最後の反転を見落とすと主旨を外します。